2002年9月29日掲載
「60才からの挑戦」

料理教室の会計をお願いしていた井上統弘さん(倉山西町)が、2001年10月にソロバンと日本語の教師として単身アメリカ・ミネソタへ渡り、井上さんの 人柄から町の人々から愛され、人気者となり過ごした9ケ月の体験の数々は大変素晴らしいものがあります。 すでに井上さんからの3回の レターを会員の皆さんへ回覧致しましたが、そこから私たちはたくさんの「元気」を頂きました。 樋口

井上さんの「60才からの挑戦」のお話をご紹介します。


紡績会社を62歳で定年退職し、社会勉強のため、昨年(2001年)10月にアメリカミネソタ州に渡り、小学校で「そろばん」と「日本語」を教えていました。定年の5,6年前より”定年後の人生はどうあるべきか”本を読んだりテレビ、ラジオを聞いたり、又先輩諸氏からいろいろアドバイスを受けていましたが、営業畑の仕事柄で約40余年間仕事、仕事でworkaholic(仕事中毒)になり後の事は、定年になってから考えようと腹をくくりました。その結果 考えを決断した社会勉強の一つであります。

ホームステイしながら、徒歩10分の小学校に通い日本文化の「そろばん」と「日本語」を教えます。月、水、金が担当で火、木は逆にアメリカの言葉、歴史、文化を学びます。そろばんを20丁持参。落ちこぼれの無いように、全員理解するまで次の科目に進みません。習う生徒も日本文化を心得てゆったりしています。読上げ算ではonce moreのリクエストが何回もあり、やりがいを感じました。「日本語」の指導では、挨拶、カラー、果物、数1〜10など。課外授業ではスクールバスでの遠足や、アイススケート、バードウオッチング、酪農家での牛の餌の与え方、乳搾り実習。他いろいろと経験をさせて頂きました。又校長先生は普通以上に私に気配りしてくれました。

朝8時から夕方5時まで。おやつの時間はあっても昼寝の時間はありません。

近くには他に2つの公立学校(小学校、中学高校)があり演劇、コンサート、スポーツの試合等でいつも交流しています。私の学校は私学のカソリック系です。金持の子女が多く、女性徒がゴルフバックを担いで学校にきます。楽器もピアノ、ギターは勿論クラリネット、サキソホーン等レベルの高い楽器も、みんな勉強しています。但し勉強塾はありません。コンピュータ学習も進んでいます。生徒、先生の数以上のパソコンがあり,私の机にもデスク型のパソコンを設置してくれました。毎朝日本のニュース(読売新聞)を約1時間読み、又E-mailで家族と連絡をしていました。生徒の服装は自由でイヤリング、ネックレス、マニュキュア、顔に金粉、何でもあり。中学、高校では髭や化粧でどちらが生徒か、先生か。

この地方はアメリカのハートランド(中心地12州)と言い、産物はトーモロコシ、大豆、小麦、干草の穀草類や牛、馬、羊の酪農関係で500エーカ(61万坪)位の農家も沢山あります。こちらはRed Lake Fallsと言うミネソタ州の西北部で湖が多くカナダの国境まで大阪〜名古屋間の距離に位置します。国境を越えてカナダのウイニペグに遊びに行きました。アメリカ人はフリーパスですが、外国人の私は同時多発テロ後、間もなくだった為国境検問で徹底的に、厳しくチェックされました。

我家は丘陵地帯で近くをクリーンウオータ川が流れ、空気、景色は抜群です。どの家庭も土地、家屋は大きく建坪200〜300坪位、どの家も地下室があります。土地はその倍以上あります。間違ってもブロックの塀などありません。田舎町でそれらしい店もありません。銀行、郵便局、理髪店、レストラン、そして小間物や程度。人口1,700人前後 このような小さな町が30〜40km離れて、あちこちに点在しています。電車、バス、地下鉄もありません。車だけです。日本は便利過ぎて贅沢だと思います。我が近くの枚方市のような町まで行くのには(隣の州ノースダコタのグランドフオークス)1時間もかかります。途中は一面のコーン畑で時々鹿が走っています。牛も放牧されています。

食事はパンが主食で、肉類、ジャガイモ類、コーン類、又ケーキ風のパン等、全体に甘いものが多く食後には、ケーキやアイスクリームが出ます。生野菜が少ないです。たまにライス風のものも作ってくれますが、お米の質から違います。飲物はコーラ、ジュース、コーヒ、牛乳など。食事も慣れますとおいしいものです。甘い食事が多いものですから、みんな良く太っています。そして沢山食べます。80%はデブです。男性、女性問わず、高砂部屋出身者ばかりで、子供まで似ています。お陰様でアルコールは止めました。自分では生涯アルコールは止められない、と思っていましたが、環境に合わす為に挑戦、これ又良い社会勉強が出来ました。アルコールはパーテイの時だけにしています。主にビールとワインが中心です。あまりウイスキーの人は見かけません。

学校着任後間もなく地元新聞のインタビューを受けました。この事が新聞に掲載されてから有名になり、皆んなから声をかけられます。私も声をかけます。HiとかHelloとか又How are youとかVery well thank youと大きな声で、手を上げて答えます。変なことが出来なくなりました。「清く正しく美しく」の生活です。土曜日の朝、郵便局へ行っての帰り道、私の横にパトカーが止りました。びっくりしました。窓越しに警官が「元気かい、アメリカの生活はどうや」と声をかけられました。見るからに頑丈そうな警官です。自己紹介を約3分間、立話をし「そろばん」を教えにきましたんや、 と

我がホームステイは6人家族で夫婦(50才)とも薬剤師です。従業員4人を使って30km程離れたところのスーパーに店を構えています。子供は長男が医学生、長女は中国へ留学、次女は専門学校生で州都セントポールに寄宿、次男中学生だけが私と一緒に生活をしています。全員揃うのはクリスマスか夏休みのときだけです。この家庭はウイークエンドになりますと必ず私を連れだしコンサート、映画、演劇、陶芸、絵画、ゴルフ、教会などへ連れて行ってくれます。思い出に残るものとしては、ミシシッピー川の源流で顔を洗った事。又カジノへ行った事、クリスマスパーテイで日本酒をプレゼントされた事、国際晩餐会に出席し日本人に会った事など。極め付はテキサスへの10日間のアメリカ縦断旅行、やアメリカの有名な観光名所ラッシュモアー山の旅、そしてカナダ旅行。知人、親戚のパーテイにも行きました。結婚式、葬式にも出席。ツアー旅行では味わう事の出来ない家庭を知ることが、出来ました。変な言い方かもしれませんが人間一皮剥けばみんな一緒だと思います。世界に国境などありません。人間は心であると思います。人生にはほんの何回かしか、訪れない貴重な経験が出来ました。学校同様、本当に良いホームステイに恵まれLuckyでした。

今回体験しましたアメリカ人の印象としましては

1 愛国心が強い  星条旗を毎日学校、役所、銀行などが掲揚、又車や家庭いたる所に旗が。

2 団結心が強い  年間行事や特別イベントには全員出席、困った人(全身やけど)があれば協力しカンパで 助け合う。

3 フロンテイア精神がある。  インデイアン時代からの狩猟精神で濁流の中を車のチューブに乗り川流れをする。日本では絶対禁止区域です。

長いような又短い9ヶ月でしたが「そろばん」と「日本語」の授業が無事に終り、ほっとしています。毎日が本当に緊張の連続でした。これからはアメリカで経験したことを生かし陶芸、絵画、ゴルフ、言葉などを勉強したいと思っています。   井上統弘